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僕の家は団地の中の一軒家だ。 ここは昔は山だったみたいで、 今でも庭を掘ってみると 木の根っこがいっぱい出てくる。 見渡す限り、家と山しか見えない。 周りにはコンビニもなくって、 テレビで新製品のコマーシャルを見ても すぐに買いにいけないのが少し、嫌だ。 僕はまだ小学生だけど、 兄ちゃんは高校生だ。 お父さんみたいに背が高くて、 話してくれる話はどれも面白くて、 高校の制服姿はとてもかっこいい。 六歳くらいしか歳が離れてないのに 本当に大人みたいだ。 僕は兄ちゃんのことが好きで、 いつもいつも、あんなふうに かっこよくなりたいなあ、と思っていた。 兄ちゃんは音楽が好きだ。 僕が夕方学校から帰ってくると、 隣の兄ちゃんの部屋から大抵 ギターの音が聞こえた。 普段は入ろうとすると 「入ってくんな」って大きな声で言うけれど 機嫌のいいときは何も言わずに 手招きしてくれる。 そして僕は、その音楽でいっぱいになった部屋に 入り込んでは いろいろな曲を聞いていた。 使わなくなったギターをくれたこともあった。 僕は嬉しくて嬉しくて もらってすぐに教えてもらったようにして弾いてみた。 でも僕はまだ手が小さくて 弦に届かないからちゃんと音がでなかった。 僕の部屋は狭いからもらったギターは 兄ちゃんの部屋に置きっぱなしだったけれど 兄ちゃんが機嫌がいい日だけ そこから取り出して 一緒に一生懸命練習した。 全然上手にはならなかったけど。 兄ちゃんはそんな僕を見て笑って、 「お前もそのうち弾けるようになるって」と言い 大きな手で頭をくしゃくしゃとなでてくれた。 僕は兄ちゃんのこの大きな手が 羨ましかった。 一度手のひら同士をくっつけて 大きさ比べをしたときのことを 今でも覚えている。 ふわふわした僕の小さな手と違って ごつごつした大きな手。 僕の指の後ろから にょきっと出てきていた長い指。 その日は一日中ずっと『いいなあ、いいなあ』と 言っていて、 母さんに『あなたもそのうち大きくなるわよ』と 言われた。 そんな事分かってるけれど 今すぐに大きくなりたかった。 兄ちゃんと同じくらいに。 ある、春のことだった。 家族四人で晩御飯を食べていると 緊張した顔の兄ちゃんが、 突然、家を出ると言い出した。 卒業したら東京へ行って、 音楽の勉強をする、と 静かな口調で言った。 僕はびっくりした。 父さんも母さんも驚いた顔をしていた。 その後僕は食べ終わった後の食器を 流しに持っていって じっとテレビを見ていた。 父さんと母さんと兄ちゃんは テレビの部屋の隣の畳の部屋で ふすまを締め切って ずっと話をしていた。 ふすまに耳をくっつけてみたりしたけれど テレビの音が邪魔をして ちゃんと聞こえなかった。 朝になって自力で起きていた兄ちゃんと 部屋を出て廊下で会うと、 にっと笑いブイサインをした。 普段は僕が部屋へ入って ベッドの布団をめくり上げて 「朝だよ」と大きな声で言わないと 起きないのに。珍しい。 どうしたんだろう。 「母さんたち、説得したぜ。 行ってもいいってさ。」 「良かったね、兄ちゃん」 「おう」 その時の兄ちゃんは 本当に嬉しそうな顔をしていた。 それからは忙しそうだった。 僕が寝た後に帰ってきたり、 部屋にいてもギターを弾かずに 「住宅なんとか」とか書いてある本を 何冊も広げて難しい顔をして読んでいた。 居間にあるカレンダーを見た。 今日から一週間後の4月1日のところに、 「東京行」とだけ小さく書いてあった。 「お母さん何これ」 「その日はね、義孝が東京へ行く日よ」 義孝、というのは僕の兄ちゃんの名前だ。 「ふーん」 僕は、兄ちゃんがいなくなる、ということが よく分からなかった。 クラスの子が転校するのと 同じ感じかもしれない。 一応、そう考えてみた。 でも誰も転校して行った事なんてなかったから やっぱりよく分かってなんかいなかった。 一週間、いつもと何も変わらなかった。 少なくとも僕は。 兄ちゃんの部屋はだんだんすっきりしていった。 白いダンボールに本や服を詰めていた。 「兄ちゃん、手伝おうか?」 「大変だからいいよ」 そう、笑って言われて 僕は素直に自分の部屋に入った。 一人になって 自分の手をじっと見てみた。 手伝いをしたかったけれど 僕のこの小さな手じゃ だめだよなあ、と思った。 少し、悔しかった。 4月1日、兄ちゃんは飛行機で東京へ行った。 僕の学校に行っている間の時間だったから、 見送りには行けなかった。 学校が終わって家に帰ってきた。 二階に駆け上がり、兄ちゃんの部屋の前で 「ただいまー」と大きな声で言う。 いつもなら何か返事があるのに、今日は 何も返事はなかった。 下からお母さんが 「義孝はもう東京へ行ったのよ」 と言った。 僕はそう言われてやっとそのことに気が付いた。 けれどそんなこと認めたくなかったから お母さんには「知ってるよ」と返事をした。 でも本当にそんな気がするんだ。 このドアを開けたら兄ちゃんがいて いつもと同じようにギターを持って 目の前に楽譜を広げて。 そんないつものことが、 目をつぶっていても 浮かんでくる。 次の日の朝、 僕は習慣どおり兄ちゃんの部屋に入って ベッドで芋虫みたいに丸くなっている 兄ちゃんを起こそうと思っていた。 本当に、全く気が付かなかった。 部屋に入るまで。 兄ちゃんがもういないことに。 「にいちゃーん…」 そこには、ベッドも何もない 空っぽの部屋があった。 壁と床がむき出しになった、 寂しい部屋だった。 床の上に何か四角いものが落ちていたから 拾ってみると、 それは兄ちゃんの高校の学生証だった。 証明写真はいつもと違う 緊張した顔で映っている。 クローゼットを勢いよく開けると、 そこには僕にくれた 古いギターが一本あった。 僕はそれを手にとって 指先で引いてみた。 指が線に届かなかったせいで、 中途半端な音が 空っぽの部屋に響いた。 へたくそ、と笑いながら 髪の毛をくしゃくしゃと なでてくれる大きな手は どこにもなかった。 僕はその時初めて 寂しくなって、 涙が一つこぼれた。 |