道化師



再び初めに在った場所で



老人は、目の前の人形をこれ以上ないほどに細めた優しい目で見つめた。
彼の前にいる人形は、精一杯務めを果たして、今、老人の所へ帰ってきた。

木製の身体をもった、愛らしいけれど不器用そうな顔の道化師の少年。
木で作られたとは信じられないほど少年らしい健やかな四肢。
今にも目を覚まして、起き出してきそうだ。
それは真実と言えなくもない。
先ほどまで、この人形は本当に自らの足で立って歩いて、此処まで帰ってきたのだから。

しかし、この少年の瞼が開くことは、もうない。
少年の、道化師の魂が去ったことは、老人にはわかっていた。

彼が作る人形達はいずれも何かの職を背負い、生まれてくる。
そう、生まれてくるのだ。
生まれた人形達は世の誰かに求められ、旅立っていく。
そして役目を終えると、此処へ戻ってくる。

老人の目の前にいる道化師の少年はこの幾十年、世界を渡り歩いて、活気という清水を、笑顔と希望を忘れた人々の心の砂漠に注いできた。
少年は彼が生み出した人形の中でも、屈指の活躍を見せたのだ。


「ようくおやすみ。お前は、本当によくやった。誇らしい、偉大な道化師だ」

大きな暖かい手で老人は初めの頃のように、ぼさぼさになった頭を撫でてやった。

「よう、じいさん。そいつ、帰ってきたのかい?」

老人の工房を突然訪れたのは、生き生きとした目をもつ青年……の人形だった。

「おお、ナギ。お前さんもお疲れだな」

老人の一言に、ナギと呼ばれた青年は苦笑する。

「お疲れとか言いつつ、まだ俺を休ませる気はないんだろう」
「そりゃあ勿論だとも。ナギには、まだまだ見守って欲しい我が子たちがいるのだからね」
「はいはい。俺もまだまだ休む気なんてありませんよ」

二人は顔を見合わせて笑った。


「それにしても、この子はいい子だったな」

ナギは老人と同じように大きな手で少年の頭を撫でた。
いつの頃だったか、老人に頼まれて彼の様子を見に行ったことがあった。
その時、彼は自分が何者なのかも信じられない、怯えた瞳をしていた。
それが、今となっては世界中から惜しまれるほどの大道化師になっているとは。

「ああ。その子は、歌手としての才も持って生まれたのだよ」
「ああ、どおりで」


少年の美しい天上の歌声は、幾千の人を救ったか知れない。


「で、じいさん。偉大なる道化師である彼のご尊名を拝聴したいんだが」

ナギがそう言うと、老人は目が見えなくなるほど目を細めて、

「そう、この子の名は、ユタじゃ」



偉大なる道化師、ユタ。


彼が身に纏うぼろぼろの衣は、貧しい人々が彼に与えた感謝の気持ち。
彼がくたくたの身体で演じるのは、人々の誰にも気づいてもらえない哀しい気持ち。
彼がひたすら求めていたものは、人々の笑いと喜びと感動。

道化師で在りつづけた彼の生涯は、それに相応しい、輝かしいものであった。

人々は語り継ぐ。
自身は笑うことも知らずに、それでも人々の笑いのために在りつづけた純粋な存在のあったことを。


――ユタ、聞こえるかい、世界中の誰もがお前を愛しているのだよ。


老人は、そう我が子に語りかける。
笑顔を知らない少年が、永遠の眠りの淵から、ほんの少し、しあわせそうに微笑んだ気がした。

「それから、今更なんだけど、じいさん、あんたは一体何者なんだ?」

ナギが悪戯っぽい笑みで老人に尋ねた。
訊かれた老人も、それ以上の悪戯っ子の笑みでナギに答えた。


「それこそ、知らぬが華というものじゃよ」


謎の老人の工房で、今日も新たな命が生まれる。
ナギが、世界中をさすらって、懸命に生きる命たちを見守る。
新たな人形達が活躍する中で、それでも消えない命がある。


――私はねえ、少年の格好をした道化師の子に笑うってことを教えてもらったんだよ。
――そのおかげでほら、今ではこのとおり。
――おばあちゃんは、お前ににっこり笑ってやることができるんだよ。





ほら、目を閉じると聞こえてくる。
あの、全ての雲を吹き払ってくれるような、少年の伸びやかな歌声が。







終幕








高槻彩さんから誕生日プレゼントに頂きました。
本当に有り難う御座いました!


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